①フィールドキャスター創業時の想い
動画メディア立ち上げのきっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災にあります。
もともと自分は、TBSの夕方ニュース番組のディレクターを担当していたのですが、震災から2日経った夕方ニュースの放送後に、ある生中継動画配信サービスのお手伝いとして初めて配信現場を見て、衝撃を受けたんです。
スタジオ出演者は6人もいるのに、配信スタッフはたったの3人ほど。
これほど少人数なのに、震災被害を受けた現地の人に電話で状況を聞いたり、各局のテレビ番組で放送されている情報を伝えたりと、インターネットを使って価値のある配信をしていることに大変驚きました。
この体験がきっかけで、地上波でなくても価値のあるニュースを提供できること、そしてウェブ専門の動画ニュースメディアへの可能性を感じました。
ちょうどその頃、YouTubeを見る人が少しずつ増えてきた時期でした。
ただ、企業が運営するチャンネルは少なく、YouTuberという単語も無かった頃です。
テレビディレクターだった自分はビデオカメラで撮影ができて、パソコンでの動画編集も覚えればできるはず。
自分が興味があるタレントを取材をしてエンタメ動画ニュースにしたら見てくれる人がいるのではないか?
無料でスマホで手軽に動画を見ることができるYouTubeで勝負をしてみたいと考えるようになりました。
そして、フィールドキャスターのYouTubeチャンネルを2011年08月19に開設しました。
これがフィールドキャスターのはじまりです。
②これまでの経歴
神奈川県出身の自分は、高校生の頃、ファッションに興味がありました。
好きなファッション雑誌の発売日の夜中にコンビニに行き、店員さんが雑誌のビニールひもを切った瞬間に手に取り、立ち読みをしていました(店員さんごめんなさい)
その頃、テレビ東京で放送していた『ファッション通信』という番組が大好きでした。
パリコレクション、ミラノコレクションなどのファッションショーが紹介される様子をいつも食いつくように見ていました。
『黒』にも色んな濃淡の『黒』があることを知りました。スカートの裾の揺らぎの美しさに心が動かされました。
早稲田大学の在学時は服飾専門学校の生徒たちと一緒に表参道でファッションショーをするなどして、
海外のファッションショーを飛び回れる百貨店のバイヤーを目指して就職活動をしました。
ただ、就職氷河期の真っただ中。
夢が叶わなかった自分は、テレビディレクターになれば、ファッションを「取材」という形で携われるのではないかと思い、テレビ番組の制作会社に就職しました。
AD時代は床で寝るのが日常の激務でしたが、何とかTBSの夕方ニュース番組でディレクターに昇格。
ディレクターとしてH&Mやフォーエバー21の日本上陸の密着取材や、ユニクロの偽物を台湾まで追跡取材するなどファッションに関わることはできました。
ただ、ファッションへの熱は徐々に冷めていき、テレビからネット動画へ映像業界の移り変わりに興味が出てきたのです。
③映像業界での経験
2003年、都内のテレビ番組制作会社に就職。
テレビ朝日の「皇室特番」やTBSの情報番組でAD業務。
ドキュメンタリーコーナーの天才サッカー少年企画(10分間)で初めてディレクター業務を経験。
Macの編集ソフト「Final Cut」を使って、初めてパソコンで編集作業を行いました。
2005年にTBSのニュース番組「イブニング・ファイブ」でディレクターに昇格。
サッカーのドイツワールドカップを現地取材、尊厳死、若年性アルツハイマーや亀田3兄弟などの題材を手がけました。
15分間のVTRのリサーチ・取材・構成・編集を経験。
アメリカのオバマ氏が大統領に就任するまでの日本の小浜市の熱狂ぶりを各局に先駆けて取材。
私がリポートしたVTRがロイター通信によって世界各国に配信されました。
また、ファッション関連の取材や、参院選で松田公太候補、藤巻幸夫候補に密着取材したVTRを放送しました。
その後はフジテレビの「スーパーニュース」で全国ニュースのディレクター業務を担当。
全国各地でのリポート、原稿書き、編集をする日々が続きました。
芸能コーナーを担当してからは、アイドルのももいろクローバーZの密着取材などを放送。
お笑いコンビ・オードリーの春日俊彰さんが水泳に挑戦したVTRでは編集局長賞を受賞しました。
その後、フジテレビのFNNプライムオンラインという、テレビ局が手掛けるネットメディアの動画担当に就任。
フジテレビのYouTubeチャンネルの運営や、フジテレビの独自動画コンテンツをYahoo!ニュースに配信する仕事をしました。
FNNプライムオンラインでYouTubeの銀の盾をもらいました!
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